wombatscharming’s blog

おまえらの悪口を綴っています。

ある朝の話

ある朝、景色に馴染む自分、自分じゃない他人からみたら、私は景色の一部でしかない。景色の考えていることなんて誰も興味無い、私も興味無い。だけど、その景色景色ひとつに意識があるって考えると怖い、この世界はどれだけの無意識にみせかけた意識で構成されているのだろう。朝から、私の気持ちを表現してくれる雨、そう言えば昨日深夜に歩いていた時も雨降ってたなぁなんて思ったり、基本、良くない事が起こる日は雨が降ってる。家からパクってきたyslだったかな?ブランド品の傘を持ってないと雨の日は負けそうになる。また何か心を削り取るような何かが、起こる気がして、そんな時、心の傘があると強く歩ける。私は、ビニール傘を1本も持っていない。ビニール傘が嫌いだ。チープだし、透明だから、通行人からわたしの顔が見えてしまう。普通の傘なら、雨の日は傘で顔を隠せる。だから、周囲に泣いている事は分からない。雨の音がうるさいし、雨だから濡れていても誰も不審に思わない。同じような理由で、夜散歩するのが好きだ。知り合いが誰もいないような街を散歩する。考えに行き詰まった時、耐えられない出来事が起こった時、私は夜、散歩する。傘がなくても、暗闇と都会の雑踏は、他人から私という存在を隠してくれる。夜は、みんな自分のことだけで必死だ。周りなんか見ていない。私にとって景色にしか写らない誰かの景色の1部である私が何をしようと、全く気にも止めないように、きっと誰も私が、泣いている事が分かったとしても、私にとっての景色の誰かは、その歩みを止めないだろう。頭では分かっている。私も、泣いていることが、伝わってしまったとしても、景色の中に泣いている人間がいるだけで、景色から独立してしまうことは無い。私も景色の一部でい続ける事が、周りに迷惑をかけなければ可能である事は理解している。だけど、晴れている昼間は私は普通の顔をして、精一杯景色に馴染めるように頑張る努力をしないと歩けない。青空は、私以外の人達を照らしているような気がして、好きじゃない。例外として、晴れた海の青空は好きだ。多分、青空と海がそのまま続いているような気がして、青空に照らされているというより、自分自身も、この素敵な青空の中にいれると錯覚できるからだろう。いつか家を建てる時は、絶対海が近い家を買おう。海が大好きだし、毎日明るく暮らせる気がする。